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校長室だより ♪校長室カンタービレ♪ 第42号が発行されました

♪校長室カンタービレ♪ 第42号

平成30年11月12日

 今月の22日に、松江を会場として「第49回中国・四国音楽教育研究大会」が開催されます。大会全体テーマを「感じてつながれ!感じてひろがれ!」と掲げ、校種別授業研究や全体会での記念講演・研究演奏などが予定されています。

私は高校で音楽教員をしておりましたので、島根県高等学校音楽教育研究会(高音研)に今も属し、この大会にも関わっています。高校部会の授業研究は松江東高校で行われ、日本の伝統芸能である「能楽」を取り上げます。

私には能の知識はまったくありません。もちろん生で鑑賞したこともありません。部分的に映像で見たことがある程度です。それでも、自分なりに調べてみました。しかし、能についてはあまりにも記述が多く、かつ複雑で、なかなか理解できません。能には歴史があり、能から派生したものがたくさんあるということだけはわかりました。従って、ここからは能の初心者として、非常に表面的な私の解釈で勝手に述べさせていただきます。しかも部分的に鑑賞したDVDの感想程度のものです。

まず、ステージにあたる能舞台は、非常に簡素なものだと感じました。演目にもよるでしょうが、同じ舞台芸術のオペラやミュージカルにある大掛かりな舞台セットと比べると、能舞台は非常に質素です。しかも、狭い正方形の舞台上で、「謡(うたい)」という声楽と「囃子(はやし)」という楽器による少人数の限られた音楽演奏にのせて、無表情な能面をつけた役者の動き・舞によって物語が進行していきます。動きも音楽も、制限されたものの中で表現しなくてはならないという窮屈さを感じてしまいました。そしてストーリーがわかっていないと、正直言って何を表現しているのか理解できません。つまり、ある程度の知識を持っていないと、退屈でどう鑑賞して良いのかわからない芸能分野だと最初は感じたのです。

しかし、前号で書いた枯山水と同様、能には「引き算の美学」「余白の美学」があることに気付きました。つまり、余分なものを排除した舞台や能面、そして「無」の空間・時間である余白を、見ている側の価値観・心で満たすことが、能の世界では大切にされているのではないかと感じたのです。余計なものをそぎ落とした引き算の美学、無表情な能面から自分なりに読み取る感情、動きや音の間に生じる無の状態である余白に特別な価値観を見出す「能」。見えないものを見る。これが能の醍醐味なのかもしれません。

人間の心も見ることができません。この見えない心を見ることができたら、どれだけ便利なことでしょう。もしかしたら人間関係でのトラブルが減るかもしれません。しかし、本当に目で見えるものになってしまったら、人間としての成長が止まってしまうのではないかと思うのです。見えない心を理解しようとすることによって、人の心は成長するはずです。日本の美意識を大切にすることは、見えない心を大切にすることではないでしょうか。よく言われる「おもてなしの心」も、伝統として受け継がれてきた日本の文化そのものだと考えます。

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