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校長室だより ♪校長室カンタービレ♪ 第14号が発行されました

♪校長室カンタービレ♪ 第14号

平成29年9月19日

 前号に続き、盲目のピアニスト辻井伸行さんの話です。

伸行さんは、産婦人科医の辻井孝さんとフリーアナウンサーのいつ子さんの間に生まれました。

伸行さんのピアノとの最初の出会いは、2歳の時に買ってもらったおもちゃのピアノでした。クリスマスに母親がジングルベルを歌いながら料理を作っていると、2歳の伸行さんはその歌に合わせておもちゃのピアノで伴奏していたそうです。しかも、歌にしっかり合った伴奏になっていたというから驚きです。

小さいころから非凡な才能を見せていた伸行さんですが、彼を世界的ピアニストとして育てるためには、多大な苦労と努力が必要だったことは間違いないと思います。それを一番に支えたのが母親のいつ子さんでした。

生後間もなく、伸行さんの目が一生見えないと知った母親は、「生まれたときからこんなハンディを抱えて、それでも伸行は生きているほうが幸せなのか。」「もう毎日がつらい。何をしていてもつらい。」と、当時の日記に書いて泣いていたそうです。

しかし、「母親である自分がこんなことでは、自分も子どももダメになる。」と思い直し、前を見て生きることを決意しました。そんな時、視力障がいのある福澤美和さんのエッセイ『フロックスはわたしの目』という本に出会ったそうです。

福澤さんは全盲であっても、歌舞伎を楽しんだり博覧会や美術館にも出かけたりすることを知ったいつ子さんは、「見えないということにとらわれるあまり、普通の人がやるようなことはできないと思い込んでいて、その人らしく生きていくということにまで気が回らなかった自分。」に気づきました。「全盲であっても、会場のにおいや音や雰囲気などは全身で感じられるので、決して真っ暗闇の世界ではない。」と、福澤美和さんの言葉で気づくことができたそうです。それからは、伸行さんを「障がい者の伸行」ではなく、「目の見えない個性のある伸行」として育てるようになったということです。

いつ子さんは、何がなんでも息子を「音楽家」にしようなどとは考えていませんでした。ただ、「何か一つ、この子が自信を持てるものがあれば」という願いで、ピアノの練習に励む伸行さんを後ろから応援してきたそうです。

このような母親の存在が、伸行さんの成長を支えてきたことは間違いありません。私も二人の子を持つ親として、考えさせられることが多々ありました。というか、反省させられることばかりです。今さら反省しても遅いのですが…。

次号では、楽譜や鍵盤を見ることさえできない伸行さんが、どうやってピアノ曲を習得してきたかについて、紹介したいと思います。

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