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校長室だより ♪校長室カンタービレ♪ 第26号が発行されました

♪校長室カンタービレ♪ 第26号

平成30年3月2日

3月1日、春の嵐が吹き荒れる中、平成29年度の卒業証書授与式を無事に終えることができました。本校を巣立って行く卒業生が、自分らしい人生を自分の力で歩んでいってくれることを祈るばかりです。

さて私は、音楽の授業を受け持っていた頃、普段はピアノに向かうことはなかったのに、この時期にだけ突然ピアノの練習を始めていました。それは、音楽を受講してくれた生徒たちの最後の音楽授業に、自分にしかできない授業として、毎年、ミニリサイタルを開催していたからです。年齢を重ねるごとに感じる技術の衰えと戦いつつ、ピアノという楽器の歴史と自分ががむしゃらに頑張ってきた高校時代を語りながらの演奏会でした。この授業で私は、高校時代に頑張ったことがいかに自分の人生に影響を与えるかということと、何十年経ったときに自分の頑張りを自慢できるものがあることの素晴らしさを、教え子たちに伝えたかったのです。

この演奏会の最後の曲は、私が作詞・作曲した「たかが音楽、されど音楽」という曲を弾き語りしました。この曲は駄作ですのでどうでも良いのですが、ピアノ演奏の最後には必ず、ショパン作曲の「別れの曲」を演奏していました。曲名からして最後の演奏曲にはぴったりだと考え選曲していましたが、実はこの曲、正式には「別れの曲」という名称ではないのです。私の大好きな曲ですので、この曲について少し紹介させていただきます。

この曲の正式な名称は、「エチュード作品10の3ホ長調」です。「エチュード」とは「練習曲」という意味で、作品10および作品25が12曲ずつ、計24曲あります。「別れの曲」以外にも、作品10の5「黒鍵」や12「革命」、25の11「木枯らし」などは特に有名な曲として挙げることができます。この「別れの曲」は、右手で内声部を弾きながら旋律のフレージングとレガート奏法を身に付けるための大変難しい曲で、中間部にはショパンらしい激情的な部分もあります。ショパン自身も「一生のうちで二度とこんなに美しい旋律を書くことはできないだろう」と言ったということです。

ショパンは、1810年にポーランドで生まれました。この曲が出版された1832年は、ソ連がポーランドを武力で併合した年です。当時のショパンはパリにいて、動乱の中にある祖国のことを思いながらも、自分では何もできないことに苛立ちを見せていました。自分の曲に祖国への思いを込めることしかできなかったのです。そのような状況の中で生まれたこの曲は、あまりに美しい旋律を持つことから、西欧では「悲しみ」とか「親密」あるいは「別離」と呼ばれるようになりました。これもショパンが名付けたものではありません。

1934年、ドイツでショパンの伝記映画が作られました。その日本語タイトルが「別れの曲」であり、その時にテーマとして使われた曲が、この「エチュード作品10の3」だったのです。そして日本でのみ「別れの曲」と呼ばれるようになったのです。映画で使われたクラシック曲がそのまま曲名として普及した例は、この曲以外存在しないということです。

名曲に限らず、曲には様々な思いやエピソードが存在します。皆さんも調べてみてはいかがでしょう。

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